研究データのオープン化における知的財産、秘密保持、プライバシーの法的論点
はじめに
近年、研究活動における透明性向上、再現性確保、知の共有促進といった観点から、研究データのオープン化(公開・共有)の重要性が広く認識されています。これは、国内外の多くの研究機関や資金配分機関において推奨され、場合によっては義務化の方向へ進んでいます。しかしながら、研究データのオープン化は、従来の法的枠組み、特に知的財産権、秘密保持義務、そしてプライバシー保護といった領域との間で複雑な課題を生じさせます。弁護士実務においても、共同研究契約、研究委託契約、データ利用許諾契約、研究不正対応、個人情報関連アドバイスなど、様々な場面でこれらの論点に直面する機会が増加しています。
本稿では、研究データのオープン化に伴う主要な法的・倫理的論点を、知的財産、秘密保持、プライバシーという三つの側面から整理し、弁護士が実務で対応する上での示唆を提供することを目的とします。
研究データと知的財産権
研究データそのものが、直ちに特定の知的財産権(特許権や著作権など)の保護対象となるか否かは、データの性質や生成過程に依存し、複雑な判断を要します。
データの著作物性
生データそのものは、通常、思想又は感情を創作的に表現した著作物とは認められにくいと解されています。しかし、データの収集・整理・分析の過程で作成される解説、図表、分析結果のレポートなどは、著作物として保護される可能性があります。また、データベースについては、その情報の選択又は体系的な構成によって創作性が認められる場合には、著作物として保護され得ます(著作権法第12条の2)。研究活動で作成される、特定のテーマに基づいて構造化されたデータセットは、データベースの著作物として保護される可能性があります。
研究データをオープン化する際には、データそのものだけでなく、それに付随する文書や構造についても著作権の帰属を確認し、適切なライセンス(例えば、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス等)を付与する検討が必要となります。
データと特許、ノウハウ
研究データは、特許出願の根拠となる発明の構成要素であったり、発明を裏付ける証拠であったりします。未公開の研究データをオープン化することは、そのデータに含まれる新規性や進歩性を喪失させ、特許取得の可能性を損なうリスクを生じさせます(特許法第30条の例外規定の適用可否を検討する必要があります)。
また、研究データ自体が、組織にとって価値のある技術上または営業上の情報であって、秘密として管理されている場合には、不正競争防止法上の営業秘密として保護される可能性があります(不正競争防止法第2条第6項)。オープン化は、この秘密管理性を喪失させるため、営業秘密としての保護を放棄することになります。企業等における研究データのオープン化を検討する際には、潜在的な特許出願の予定や営業秘密としての価値を慎重に評価する必要があります。
共同研究における知的財産権とデータ公開
複数の機関による共同研究では、研究成果としての知的財産権の帰属や、そこから得られた研究データの取扱い(公開、利用、共有)について、共同研究契約で詳細に定めることが不可欠です。データ公開に関する規定がない場合、後のトラブルの原因となります。データ公開の可否、公開する場合の時期、範囲、ライセンス条件などについて、契約締結時に明確な合意を形成することが重要です。
研究データと秘密保持義務
研究データには、契約に基づく秘密保持義務や、特定の倫理指針等に基づく守秘義務が課される場合があります。
契約による秘密保持義務
共同研究契約、委託研究契約、ライセンス契約などにおいて、契約当事者間で共有される情報や、研究活動を通じて得られる情報について秘密保持義務が課されることが一般的です。研究データがこれらの契約における「秘密情報」に該当する場合、契約で定められた範囲を超えてデータを公開することは、契約違反となります。オープン化を検討する際には、既存の契約に秘密保持義務が含まれていないか、含まれている場合にデータ公開が許容される例外規定(例:法令に基づく開示請求、相手方の事前の書面による同意)がないかを確認する必要があります。
倫理指針等に基づく守秘義務
生命科学・医学系研究、臨床研究など特定の分野では、研究対象者や患者に関する情報について、法令や倫理指針に基づき厳格な守秘義務が課されています(例:医療法、医師法、個人情報保護法、人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針)。これらの研究から得られたデータには、個人情報や機微な情報が含まれる可能性が高く、オープン化の際にはプライバシー保護と密接に関連する課題となります。
研究データとプライバシー保護
研究データが個人情報を含む場合、個人情報保護法をはじめとする関連法令・倫理指針の遵守が必須となります。
個人情報の適正な取扱い
研究データに氏名、所属、生年月日などの個人情報が含まれる場合、その取得、利用、提供、保管等は個人情報保護法の規制対象となります。オープンデータとして公開するためには、原則として本人の同意を得る必要があります。同意取得が困難な場合や、網羅的な同意が実務的でない場合には、匿名加工情報や仮名加工情報に加工して提供・公開する方法が考えられます。
匿名加工情報・仮名加工情報
個人情報保護法における匿名加工情報及び仮名加工情報は、特定の個人を識別できないように加工された情報であり、適切に加工・公表の手続きを踏めば、本人の同意なく第三者提供が可能です。研究データをオープン化する際の一つの有力な手段となります。
しかし、匿名加工情報や仮名加工情報の作成には厳格な加工基準が定められており、特に匿名加工情報として公開するためには、元の個人情報を復元できる規則性や符号を削除するなどの加工が必要であり、かつ加工方法等に関する情報を安全管理措置を講じて管理する必要があります。また、匿名加工情報を本人を識別するために他の情報と照合することや、仮名加工情報を本人に連絡するために利用することなどは禁止されています。研究データの性質に応じて、どのレベルの加工が可能か、また、その加工が研究データの科学的価値を損なわないかといった技術的・実務的観点も考慮する必要があります。
再識別リスク
個人情報そのものを公開しない場合でも、複数の非個人情報データを組み合わせることで、特定の個人を再識別できてしまうリスク(再識別リスク)が存在します。研究データセットの場合、異なる種類のデータ(例:疾患情報と行動履歴)を組み合わせることで、個人を特定しうる可能性があります。オープンデータ化の際には、単に氏名等を削除するだけでなく、専門的な知見に基づき再識別リスクを評価し、適切な対策(データの粗粒化、ノイズ付加、差分プライバシー等の技術的手法、アクセス制限等の管理的手法)を講じることが、倫理的かつ法的な要請となります。特に、生命・医学系研究データにおいては、ゲノム情報のような機微な情報を含む場合があり、再識別リスクへの対応が極めて重要になります。
研究公正とデータ公開
研究データの正確な記録、管理、公開は、研究活動の透明性を高め、研究不正(データのねつ造、改ざん、盗用など)を防止する上で重要な役割を果たします。国の研究資金配分機関によっては、研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン等において、研究データの保存や公開に関する方針を定めることを求めています。研究不正の疑義が生じた場合、研究データの公開状況が調査の過程で重要な要素となることがあります。
まとめ
研究データのオープン化は、科学技術の進展と社会への貢献に不可欠な流れですが、それに伴う法的・倫理的課題は多岐にわたります。知的財産権、秘密保持義務、プライバシー保護といった既存の法的枠組みを理解しつつ、研究データの特殊性(多様性、機微性、共同での生成・利用など)を考慮した対応が求められます。
弁護士としては、クライアント(研究機関、大学、企業の研究開発部門、研究者個人など)に対して、研究データのライフサイクル全体を通じて、これらの法的・倫理的課題に対する適切な助言を行う必要があります。具体的には、共同研究契約等におけるデータ取扱条項のレビュー・作成、データ公開に関するプライバシー影響評価の支援、匿名加工情報・仮名加工情報化の法的要件に関するアドバイス、研究不正に関する調査協力など、幅広い業務が考えられます。
今後の研究データを取り巻く法規制やガイドラインの動向にも注視しつつ、実務を通じて知見を深めていくことが重要となります。