オープンデータ法倫理

再識別リスクを回避するオープンデータの法的措置と倫理的配慮

Tags: オープンデータ, 匿名化, マスキング, 再識別リスク, 個人情報保護法, 倫理, 法規制

はじめに

近年、政府、自治体、企業等による公共データや事業データのオープン化が進展しております。オープンデータは、新たなビジネスやサービス創出、行政の透明性向上、研究開発の促進など、社会経済の活性化に多大な貢献をもたらす可能性を秘めています。一方で、オープンデータとして公開される情報が、個人情報やプライバシーに関わる情報を含んでいる場合、適切な措置を講じなければ、意図せず個人が特定されてしまう「再識別リスク」を生じさせる可能性があります。

この再識別リスクへの対応は、オープンデータ提供者にとって法的義務および倫理的責任の問題であり、またデータを利活用する側にとっても、利用範囲や方法に関する法的・倫理的判断が求められる重要な課題です。本稿では、オープンデータにおける再識別リスクに関連する法的措置、特にマスキングや匿名化に関する法規制の解釈、および倫理的な配慮について、弁護士の実務に役立つ情報を提供することを目的といたします。

オープンデータにおける再識別リスクとその法的・倫理的位置づけ

オープンデータとして公開されるデータセットには、個々の情報自体は特定の個人を直接識別できるものではないものの、他の公開情報や容易に入手可能な情報と照合・連結することで、個人が特定され得るものが含まれることがあります。これが「再識別リスク」です。

例えば、特定の地域における年齢層別の統計データであっても、その地域に居住する特定の年齢層の人数が極めて少ない場合、その統計データが特定の個人に関する情報を示唆する可能性があります。また、複数の匿名化されたデータセットを組み合わせることで、個人の行動パターンや属性が高精度に推測されてしまう事例も報告されています。

法的にこの問題が重要となるのは、再識別された情報が個人情報保護法における「個人情報」に該当し得るためです。個人情報保護法では、「個人情報」を「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。」と定義しています(個人情報保護法第2条第1項)。この定義にある「他の情報と容易に照合することができ」るかどうかが、再識別の可能性と個人情報該当性の判断において重要な論点となります。

再識別リスクへの不十分な対応は、個人情報保護法違反だけでなく、プライバシー権侵害に基づく損害賠償請求のリスクにも繋がります。また、法令遵守の観点だけでなく、市民やデータ主体からの信頼を得るための倫理的な配慮も不可欠です。

オープンデータ提供における法的要求事項:マスキング・匿名化を巡る諸法規

オープンデータとして個人情報を含む可能性のあるデータを公開する場合、提供者は様々な法規制を遵守する必要があります。中心となるのは個人情報保護法ですが、行政機関や自治体が提供するデータについては、行政機関個人情報保護法(※現行法では個人情報保護法に統合)や地方公共団体の条例も関連します。また、統計データについては統計法も考慮に入れる必要があります。

個人情報保護法における匿名加工情報・仮名加工情報・統計情報等

オープンデータ提供に際し、個人情報を含む可能性があるデータをそのまま公開することは原則として許容されません。個人情報保護法に基づき、適切な加工を施すことが求められます。関連する概念として、匿名加工情報、仮名加工情報、そして個人情報に該当しない統計情報等があります。

行政機関・地方公共団体における取り扱い

行政機関が保有する個人情報を含むオープンデータについては、個人情報保護法の規定に従う必要があります。法改正により、独立行政法人等を含む行政機関の個人情報保護についても個人情報保護法に統合され、基本的な考え方は民間事業者等と同様になりました。ただし、行政機関の情報公開制度との関係も考慮が必要です。

地方公共団体が保有するオープンデータについては、個人情報保護法に加え、各自治体の個人情報保護条例が適用されます。条例の内容は自治体によって異なりますが、多くの場合、個人情報保護法と同等またはそれ以上の厳しい規律を定めています。公共データのオープン化に関する条例を定めている自治体もあり、これらの条例における匿名化やマスキングに関する規定も確認する必要があります。

統計法との関連

国の行う統計調査によって集められたデータについては統計法が適用されます。統計法に基づき提供される匿名データ(匿名調査票情報、匿名加工情報等)は、統計作成以外の目的での利用が厳しく制限されており、一般的なオープンデータとしての提供とは性質が異なります。しかし、統計法における匿名化の考え方や安全確保措置に関する規定は、他のオープンデータにおける匿名化を検討する上で参考となり得ます。

マスキング・匿名化の手法と法的評価

再識別リスクを低減するための技術的な手法は複数存在し、データの種類や特性、求められる匿名化のレベルに応じて使い分ける必要があります。主な手法と法的評価における留意点は以下の通りです。

これらの技術的手法を選択・適用する際には、単に手法を適用するだけでなく、その手法が具体的なデータセットに対してどの程度の再識別リスクを低減できるのか、専門的な評価を行うことが重要です。不十分なマスキング・匿名化は、法的な「匿名加工情報」や「統計情報」として認められず、結果として個人情報保護法等の規制がそのまま適用されるリスクを生じさせます。

オープンデータにおける倫理的配慮

法的な要件を満たすだけでなく、オープンデータ提供・利活用においては倫理的な配慮も不可欠です。特に以下の点に留意が必要です。

関連する判例・行政解釈からの示唆

オープンデータの再識別リスクや匿名化に関する直接的な最高裁判例や著名な下級審判例は現時点では多くはありません。しかし、個人情報保護法やプライバシー侵害に関する既存の判例から、再識別リスクの評価や損害賠償責任に関する示唆を得ることができます。

例えば、ある情報が「他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなる」かどうかの判断基準に関する判例の考え方は、オープンデータにおける再識別リスクの評価に直接的に影響します。「容易に照合できる」とは、照合に要する期間、費用、労力等に照らし、社会通念に照らして容易と判断される場合を指すと解釈されています。オープンデータの場合、インターネット上の情報や他の公開データセットとの照合が容易であるかどうかが重要な判断要素となります。

また、個人情報保護委員会や総務省等のガイドラインやQ&Aは、法解釈や実務上の運用に関する重要な手掛かりとなります。これらの行政解釈は、オープンデータ提供者が遵守すべきマスキング・匿名化の基準や、再識別リスクへの対応方法を判断する上で不可欠な情報源です。

実務上の留意点

弁護士がオープンデータ提供者または利活用者に対してアドバイスを行う際、以下の点に留意することが重要です。

結論

オープンデータの持つ潜在力を最大限に引き出しつつ、個人情報やプライバシーを適切に保護するためには、再識別リスクへの法的かつ倫理的な対応が不可欠です。マスキング・匿名化は再識別リスクを低減するための重要な手段ですが、その手法の選択、適用、および法的評価は専門的な知識を要します。

弁護士としては、個人情報保護法、行政機関個人情報保護法、統計法、地方公共団体の条例といった関連法規の正確な理解に加え、マスキング・匿名化に関する技術的な知見、関連する判例や行政解釈、そしてオープンデータ活用の倫理的な側面に関する深い洞察が求められます。実務においては、これらの知識を統合し、クライアントに対して具体的かつ実践的なアドバイスを提供することが、オープンデータを取り巻く法的課題への適切な対応に繋がります。今後も、技術の進展や法制度の改正、社会の変化に伴い、再識別リスクへの対応は進化していくと考えられ、常に最新の動向に注目していく必要があります。