行政統計データのオープン化に伴う法的・倫理的論点:統計法、個人情報保護、信頼性、著作権、利用リスク
行政統計データのオープン化:法的・倫理的課題への弁護士のアプローチ
行政が保有する統計データは、政策立案、学術研究、ビジネス活動など、社会経済の様々な領域において重要な基盤情報として活用されています。近年、官民データ活用推進の動きの中で、これらの統計データをオープンデータとして公開する取り組みが進められています。しかし、統計データはその性質上、特有の法的・倫理的論点を内包しており、弁護士としてはこれらの点を正確に理解し、実務上の課題に対応する必要があります。本稿では、行政統計データのオープン化に伴う主要な法的・倫理的論点について解説します。
統計法における規律とオープンデータ
行政統計データのオープン化を検討する上で、まず基本となるのが統計法(平成19年法律第53号)です。統計法は、統計の作成及び利用に関し基本となる事項を定めることにより、統計の体系的整備とその有用性の確保を図り、国民経済の健全な発展に寄与することを目的としています。
- 秘密の保護義務(統計法第41条): 統計調査によって得られた個々の調査票情報や、統計の作成過程で知り得た個人や法人その他の団体の秘密に属する事項については、厳格な秘密保持義務が課されています。オープンデータとして公開する際には、この秘密保持義務を侵害しないよう、適切な匿名化・非識別化処理が必須となります。
- 統計データの利用促進: 統計法は、公的統計の二次利用を促進するための規定(第33条以下)を設けており、この規定がオープンデータの法的根拠の一つとなり得ます。一方で、利用目的に応じた手続きや制限が存在する可能性も考慮する必要があります。
- 統計作成過程: 統計データの信頼性は、その作成過程に大きく依存します。統計法に基づき適正に作成された統計であるか否かは、提供されるデータの法的性質や利用に伴うリスク評価に影響を与えます。
個人情報保護と匿名化・非識別化の論点
統計データには、個々の個人や事業所に関する情報が集約されている場合が多く、直接的または間接的に特定の個人等を識別可能な情報が含まれる可能性があります。このため、オープンデータとして公開する際には、個人情報保護法(平成15年法律第57号)との関係が重要となります。
- 匿名加工情報・仮名加工情報: オープンデータ化に際しては、個人情報保護法における匿名加工情報または仮名加工情報の概念が関連します。統計データに含まれる個人情報や事業所情報が、特定の個人等を識別できないよう加工されていることが重要です。再識別化のリスクを最小限に抑えるための加工基準や手法については、個人情報保護委員会等のガイドラインや実務上の慣行を参考に、十分な検討が必要です。
- 再識別化リスクと提供者の責任: 加工済みデータであっても、他のデータと照合することで特定の個人等を再識別できてしまうリスク(再識別化リスク)はゼロではありません。万が一、提供したオープンデータから個人等が再識別され、プライバシー侵害等が発生した場合、提供者(行政機関等)の法的責任が問われる可能性があります。統計法上の秘密保護義務違反や、国家賠償法に基づく責任などが論点となり得ます。提供者は、可能な限り再識別化リスクを低減するための技術的・組織的措置を講じる義務を負うと考えられます。
統計データの信頼性と提供者の法的責任
統計データの価値は、その信頼性にあります。誤った統計データが公開され、それが広く利用された結果、経済的損失や誤った政策判断等を招いた場合、提供者である行政機関等の責任が問題となる可能性があります。
- 品質確保義務: 行政機関には、正確かつ信頼性の高い統計を作成し、提供する義務があります。この義務は、統計法や公文書管理法(平成21年法律第66号)、あるいは官民データ活用推進基本法(平成28年法律第103号)等の趣旨から導き出されると考えられます。
- 誤謬・不正確性に基づく損害賠償請求: 公開された統計データに誤謬や不正確性があり、これを利用した第三者が損害を被った場合、国家賠償法第1条第1項に基づく賠償責任が問われる可能性があります。「公権力の行使」に該当するか、職務行為に「違法」性があるか(統計作成・公開過程における過失等)、損害との間に因果関係があるかなどが主要な論点となります。統計データの性質(確定値か速報値か、集計方法の周知等)や、利用規約における免責条項の有効性も検討要素となります。
著作権と利用許諾
統計データ自体(個々の数値の羅列)には原則として著作物性がないと解されています。しかし、統計表の構成、グラフの表現方法、あるいは特定の意図に基づき編集・加工された統計データセットなどは、編集著作物として著作権法(昭和45年法律第48号)による保護の対象となる可能性があります。
- 編集著作物: 複数の統計データを選択・配列し、全体として創作性のある表現形式を持つ統計書やデータベースは、編集著作物として保護され得ます。行政機関が公開するオープンデータセットが編集著作物に該当するか否かは、その構成等によって個別に判断が必要です。
- 利用許諾とライセンス: 著作権保護の対象となる統計関連データをオープンデータとして公開する場合、著作権法に基づく利用許諾(ライセンス)が必要となります。多くの場合、行政機関はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス等、オープンデータに適したライセンスを付与して公開しています。利用者は、ライセンス条件(帰属表示義務、改変の可否等)を遵守する義務を負います。ライセンス違反は、著作権侵害や契約違反(利用規約違反)として法的責任を問われる可能性があります。
利用者のリスクと責任
オープンデータとして公開された統計データの利用者は、利用規約の遵守義務を負うだけでなく、その利用方法によって様々なリスクに直面する可能性があります。
- 利用規約違反: オープンデータ提供者が定める利用規約には、利用目的の制限、改変の制限、二次利用生成物における帰属表示義務、免責事項などが含まれるのが一般的です。これらの規約に違反した場合、契約違反として損害賠償請求や差止請求を受ける可能性があります。
- 誤った解釈・利用によるリスク: 統計データは、その性質上、専門的な知識なしに誤った解釈をしたり、不適切な方法で加工・分析したりすると、誤った結論を導き出す可能性があります。この誤った結論に基づき第三者に損害を与えた場合、利用者の不法行為責任などが問われる可能性があります。提供者は、統計データの限界や解釈上の注意点などを利用規約やメタデータで明確に伝えることが望ましいと言えます。
倫理的配慮
法規制の遵守に加え、統計データのオープン化には倫理的な側面も重要です。
- 恣意的な集計・表示: 特定の結論を導くために都合の良いようにデータを集計したり、グラフで誤解を招くような表示を行ったりすることは、統計の信頼性を損なうだけでなく、社会的な誤解や不公平感を生じさせる可能性があります。これは、統計の専門家やデータ利用者双方にとって倫理的に避けるべき行為です。
- 偏見の助長: 特定の属性に関する統計データが、不適切な形で利用されることで、特定の集団に対する偏見や差別を助長するリスクも存在します。データの集計単位や粒度、公開方法については、こうした社会的影響も考慮した倫理的な判断が求められます。
結論
行政統計データのオープン化は、データ活用の推進に不可欠ですが、統計法、個人情報保護法、著作権法など複数の法規制が複雑に関係し、データ信頼性や倫理的側面も重要な論点となります。弁護士としては、これらの法的・倫理的課題を体系的に理解し、データ提供者側、利用者側の双方に対し、関連法規に基づくリスク評価、契約実務、紛争予防・対応に関する専門的な助言を提供することが求められます。特に、統計データの匿名化手法の妥当性、再識別化リスクへの対応、利用規約における適切な責任範囲の画定、誤謬時の対応などは、実務上の重要な課題となります。最新の技術動向や個人情報保護委員会の動向等にも注意を払い、専門知識のアップデートを続けることが不可欠です。